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働き方にまつわる転機は「はじめてのあっぷる」から

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はじめてのあっぷる

はてなブログのトップでブログコンテストが目に止まったので、何かの縁と思いますのでちょっと書いてみたいと思います。ども、Daveでございます。

私結構年食ってまして、生まれは1969年です。任天堂がファミコンを発売したのは1983年、私が14才(中2)の時でした。その4年前には社会現象にもなったインベーダーブームの荒波が押し寄せてきており、ゲームが大好きになった少年は大人のゲーム機としてのコンピューターが欲しくてたまらなかったのです。しかし高価なNECのPC8801などを買ってもらえるわけもなく、パソコン雑誌を眺めていろいろ夢見てはファミコンゲームに明け暮れる、という中学生時代を送っていました。

高校に入学してもゲームとパソコンへの興味は尽きるどころか募るばかりでした。毎週末秋葉原のパソコンショップめぐり(ラジオ会館とか)をしながら、海外の最新機種としてApple IIc(1984年発売)の洗練された筐体のデザイン、カラフルでポップで刺激的な海外性のゲームの世界にどんどん魅了されていました。そんな時に小学館から発売されたのがこの「はじめてのあっぷる」というムック本でした。

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パソコン雑誌なのに、ひらがなだらけの表紙、ページをめくると絵本仕立てでApple Computerの開発ストーリーが読めるこの本に中3の私は衝撃を受けました。Apple IIcのマニュアルとして制作され、それを書籍として販売したというこの本は、パソコン雑誌とは一線を画していました。このムック、驚くべきことにハードウェアの写真が全く掲載されていません。

 

そして平易な言葉で、やさしく語りかけるように、「コンピューターはみんなのもの」*1を高らかに歌い上げ、初めて行くAppleショップとどう付き合えばいいのかとか、またユーザーグループで詳しい人と仲良くなって教えてもらいなさいとか、パソコン初心者が高価なApple IIcを購入して、その後も幸せなパソコン生活が送れるように、親身になってアドバイスしてくれる本でした。全ページキラキラ輝いて見えたこの本を枕元において、何度も何度も読み返しました。購入からすでに34年経っていますが、いまでも私の宝物です。

大学~就職につながる縁

それから3年後、無事大学入試に合格したご褒美に、Apple Computer社の最新モデルで当時やっと漢字を扱えるようになったMacintosh Plusというパソコンを買ってもらいました。9インチの、今から考えたらスマホレベルの小さなモノクロモニタで、フロッピーディスクも標準では1基しか搭載していませんでした。ハードディスクなんかもちろん高価で買えませんでしたから、まず「起動用のフロッピーディスク」で起動し、「アプリケーションディスク」や「データ保存用ディスク」をジャグリングのように何度も入れ替えながら使用する、不便な代物でした。でも、触っていて本当に「コンピューターはみんなもの」を実感させてくれる、きらきらした素晴らしいマシンでした。

 

そんな素晴らしいマシンとは裏腹に、私の大学生活は完全に失敗していました。エスカレーター式に高校から上がってきた垢抜けた同級生の中で大学デビューに完全に失敗し、ほとんど学校も行かずに必須科目の単位も落としまくりました。

あんなに欲しかったMac Plusもホコリをかぶりかけていた大学2年生の夏、大学の最寄り駅にあったレコードショップ内にAppleの販売コーナーがオープンし、バイトを募集するという張り紙が掲出されていました。それを見て、まさにカミナリに打たれたような衝撃を感じた私は、その場でバイトの面接を申し込み、もう翌週には働いていました。

アルバイトはとても楽しく、Macの知識も得ながらゲームもし放題と充実した大学2年~3年でしたが学校にはとんと足が向いていませんでした。そのお店で初めて好きな人ができたりして、もう大学どころじゃありませんでしたし。

 

そんな時、3年の夏ころに同じ学校でバイトの後輩のSくんから、「そろそろ就職じゃん? 一緒にA社(パソコン雑誌の出版社)受けようよ」と誘われました。PCや家庭用ゲーム機、そしてApple Macintoshの専門誌を出版していたその会社の事は良く知っていました。でもまさか、自分が編集者になるとは思っていませんでした。

バブルが弾ける直前で、同期は証券会社などに就職を決めている中、まぁ留年・中退かなぁとか、このままバイトで…とかふざけた事を考えていたのですが、友達のその言葉でスイッチが入り、必死に大学4年生で64単位(16科目分)をお情けで取得させてもらい、無事その雑誌社に新入社員として入社することができました。

願わくば「接ぎ木のような転機」を

長々と書いてしまいましたが、ひょんな縁からその後転職2社目で夢にまで観ていたApple Computer(当時)で計4年間働くことになります。その後の転職も、バイト時代の縁が導いてくれました。振り返れば、私は本当に幸運で、周りの方にも恵まれています。それは疑いようも無い事実です。

 

それを踏まえて今49才になって実感しているのは、「人生や仕事は弱いつながりの連続のように見えるが、その弱いつながりをリセットすることは難しい」ということです。順風満帆に聞こえるかもしれませんが、私は過去、転機を迎えた時にリセットボタンを押してしまった事が1回ありました。そうしないと「自分が前に進めない」あるいは「過去にお世話になっていた人たちに申し訳ない」と感じていたからです。でも、数年後に振り返ったら、実はリセットなんかできておらず、ずっと細く長く、今の自分に繋がっていることに気が付きました。その時のことは、心底後悔しています。

 

でも接ぎ木であれば、それは決して悪いことではなく、美味しくて大きな実がなるために必要な事です。できれば、転機を接ぎ木のように乗り越えられるといいな、と思っています。

 

長文の自分語りになってしまい、赤面しておりますが、もし何か今転機を迎えようとしている方のお役に立てればと思い、書かせていただきました。それでは、また!

#わたしの転機

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*1:Appleの当時のスローガン「The Computer for the Rest of Us」の和訳

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